ブラジル・サウヴァドール日記
2004-2005 Brasil Salvador
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01/17(月) さやか日記
忘れてたけどメストレ・ゼ・ド・レンソは竜太さんのことをさして「マシウ」という表現をしていた。
さて今日は朝早く5:30くらいに竜太さんから日本到着の電話があって目が覚めた。
そのあとアイルトンさんから間違い電話で6:30ごろ起こされた。
そこからどうにも眠れなくて起きてしまう。
日記を書いて、朝食の買い物にともさんとヒオ・ヴェフメーリョよりのメルカジーニョに行く。
おいしそうなフランスパンが焼けていたのでそれを一本買う。ここ安いかも。
店員もいい人で、トニーも良い店だと言っていた。
ゆうやとトモさんは海で遊ぶみたいなので私は先にアカデミアに行く。
十分竜太さんと会話ができた。
かずさんから日本の練習風景がメールで送られてきたけど竜太さんやっぱり浮いてる・・・
黒い・・・
レウとアリアーニがやってきてメッセンジャーで竜太さんと話したいというので代打してあげる。
アリアーニは「Lyuta, voce e muito bonito, gosto muito de voce」って私に打たせてたけど・・・
恐るべし
ゆうやたちが結構遅れて海からやってきて、やっとお昼を食べる。もう三時・・・。
アカデミアに戻ってトモさんが会社にメールを送ったりしてそれを待っていたらメストレ・マカーコがCDを持って現れた。
新しいCDはすごい出来栄えで、マクレレーやプシャーダ・ジ・ヘージ、サンバも入ってる。
多くの協賛を得て作ったもので、クオリティはかなり高いと思う。
トニーがいなかったので、トニーを待つ間メストレ・マカーコとお話をする。
でもまた会うんだけどねどうせ・・・。今月末はサントアマーロでイベントがあるので。
Mestre Macaco (Raimundo Jose Laz Neves) は、8歳の時にカポエィラをはじめた。
(生年月日を聞き忘れたので今いくつかわからないけど、話の中の計算が合わないではないか?!)
最初は路上とか、広場とか、カポエィラがあるどこででもジョーゴして、当時はアンゴーラをやっていた。
8年アンゴーラを学んだ後にその後ヘジォナウを学んで30年カポエィラをやってる。
(Padagosia Joaoという人物が恐らく先生だった。でもメモが違う場所にあるので確信なし・・・)
8歳でカポエィラをやり始めたときには両親に反対されて時々練習することを咎められた。
というのは両親はまだ奴隷制を知っている世代で、法律で禁止されていたし、
カポエィラというのは妖術の一種だと思っていたので。
マカーコという名前は一緒にやっている友達達の間でついた名前で、子供のころはバク宙をよくやって、
そのひょいひょい跳ぶ様子が猿っぽかったから。
20歳の時にグループを始めた。1985/9/3が設立記念日だけど、グループの前身となるものはその前からあった。
ACARBOはAssociacao de Capoeira, Arte, Recreacao, Berimbau de Ouroで頭文字をとっている。
Recreacaoはレクリエーションみたいな意味で、ACARBOでは練習を年齢別に分けるけど、どんな世代にも
誰にでもカポエィラが楽しめるように、みたいな意味もあるらしい。
あと子供達とやっているプロジェクトとかをさしてRをおいている。
Berimbau de Ouroは、本当の意味で金のビリンバウということではなくて、良くビリンバウを弾く人をさして
Berimbau de Ouroと呼ぶらしい。
グループを始めた当初はBanhaという人物がグループを助けてくれたが、現在はもう彼はカポエィラをしていない。
そんな感じで、あと26日から始まるイベントは何人ぐらいのクラスでやるのか聞いたら2-30人だって。
少な!うち半分くらいが外国人みたいだけど話し大きくしてるような感じだから実際は外人少ないような気がする。
練習は夜だけなのでそれ以外の時間は海につれていってくれたりするらしい。えー・・・サービスっぽいなあ
とおもったけど、まあ本当にもてなしたいと思っているみたい。
金曜の夜にカエタノ・ヴェローゾのコンサートがあるらしい。
何でもカエターノの母親はサント・アマーロの人で、カエターノ自身もサント・アマーロ生まれ。
その日のコンサートサントアマーロの人々のためにタダらしい。
日本のファンが聞いたらヨダレがでそうな話だなー・・・。伊藤さんここ読んでますかー?
というわけでトニーが帰ってきて、メストレ・マカーコはCDをおいて帰っていった。
楽しいお話だった。でもメストレ・マカーコは話すときに鼻以上に目が大きく開いてちょっと怖かった。

冷蔵庫を借りに家に上がっていったら、新しいコンロが来てて、トニーが設置していた。
アニーはものすごいご機嫌で、トニーのことほめまくっていた。
今度からは居間の位置が変わるらしい。
そこから家の改造計画の話に火がついて、いろいろ引っ張りまわされた。

あと新しく買った(といっても中古)ミシンを見せてくれた。ああよかった買えたんだ。
去年カルナヴァルの時期にそれが買えなくて泣いていたのを思い出した。

アニーが、今みんながアパートに泊まっているのは残念だと言っていた、いつでもここに来て一緒に
寝たり食事したりしてねと言ってくれた。
すっかり遅くなってしまって、でも私は着替えをもっていないので一度PCを持ってアパートに帰る。
行きに3人でパダリアに行って、トモさんたちは練習前のエネルギーチャージにヴィタミーナ飲む。
今日は家で食事したらいいんじゃないかと思って、達冨先生(ゆうやさん)に相談したら、何度でも
やりましょうということなので早速今日そうすることに。今日はエレナの誕生日なんだけど、エレナは
ノゲイラ家のおばあちゃんの家で過ごしているのでいないし、レウも今日から少しの間家に帰っている
から今日はアリとトニー・アニーの三人だけだし、ちょうどいい。
今日は結構練習に人がいた。
ウーゴ・シャレウ・ネゴ・フマーサ・ファイースカ・ビビーニャあとアレシャンドロがいて練習中ふざけまくってた。
あと柏木じゃなくて四谷じゃなくて角筈でもなくてブラジルにきちゃったトモさんとゆうや。
あとよそのグループの外国人の女の子で比較的初心者な子が途中から来た。
アレシャンドロ微妙に大人に放置されかかっててやばいような気がする。
まあやばいのは昔から変わらないけど。
練習は基本的な練習が多くて、後半はケーダの練習。
シャレウはまだトニーやグループとの間にいろいろあるみたいけど、でも彼の練習への情熱はいいものだと感じた。
途中で彼女といわれる人物が現れて筋トレしてた。
練習のあとご飯をつくって食べる。
・・・んだけど大失敗。

ヴェフメーリョがゆうやのご飯食べたいとかで待ってる。
あとゆうやの日記毎日読んでると言ってた。そんで間違いの部分について激しく注意してた。

そんでゆうやが3つほど上手に作ってくれて、なんでも後から教えてもらったけど家のフライパンは鉄素材
だからテフロンとかよりも煙がでるくらい熱しないとダメらしい。
そんで指導のもと私もなんとか2つ作った。

お約束の名前書き。


アニーはトニーを食べるといってうれしそう。
ヴェフメーリョは私の大失敗のおかげで食事を待たせすぎて帰っていった。
スタンドに飲み物買いに行くので一緒に行ったんだけど、とにかくこれからカルナヴァウに向かうので、
絶対に夜はnotebookは持ち歩くなと言われた。
便宜を考えるとそうもいかないんだけど、仕方ない。言われたことは守らないと。
6人で食事をする。

アニーは今日コンロがきたのでご機嫌で、すごいおしゃべりだった。
そういう時のトニーって、知ってる人は想像つきますよね?
アニーはいろんなことを話したがって、今日は二人の再会の話。
二人が再会したときアニーは26歳・トニーは18歳だった。
お互いに惚れ込んだわけだけど、特にトニーは、アニーゲットのため(?)にいろんなことをしたらしい。
まず、たいして上手でもないけど、アニーが銀細工をやっていると聞いて、自分もできるよとウソついて早速やり始めた。
でも家族のために10個だけ作ってそれ以降一度もやっていない。
アニーは当時おばの家にいて、こっちでは一人だったから、さびしくないようにかまってあげてと
トニーにおばが頼んだんだけど、そうしたらトニーは毎日毎日なんかもってやってきた。
たいていは釣り上げた魚を・・・
ある日自分ちの一階部分が魚であふれてアニーは本当に困ったらしい。
あとヒオ・ヴェフメーリョに住んでたときの話とか。ロマンス満載。
家の窓から望遠鏡でみてたら水平線のかなたにトニーが見えたとか・・・ はあ。
そのあとネゴの話になった。
やっぱり今ネゴは働いてないらしい。
彼のような人・完全な黒人で、貧民区に住んでいる人には、本当に仕事を探すのは難しいことなんだと
アニーもトニーも言っていた。ネゴは空港よりの地区に住んでいる。(トニーママの家よりも空港より)
でもここまでやってくるんだと、往復で結構な時間と交通費をかけても。
ネゴは12歳の時学校でカポエィラを始めた。当時はオンジーナの界隈に住んでいて、Olho de bidroっていう
メストレ・バンバのところの先生の一人が学校に教えに来ていた。
当時の三兄弟がそこに手伝いに来て、そこでネゴをテンポに誘ったらしい。
ネゴちなみに20歳。
お皿が足りなくて、引っ張り出してきた皿はカビがすごい生えてたんだけど、このお皿はカンドンブレーでも
使うアリベーというもので、Prato de Najeというアフリカの土器。
あと、メドゥーザもイダリーナもジェウもクレンチに入信したらしい(家族が)。カポエィラから離れてるのはそのためだった。
アンドレーは大分カポエィラに戻ってきたけど、たとえばアタバキはカンドンブレーの楽器だから叩かないとか。
クレンチの問題はカポエィラにとっては大変大きな問題ですね・・・。こんなにも生徒が離れていくのは残念すぎる。
今日はエレナの誕生日。
18年前のこの日、トニーは114キロもある、メルっていう魚を釣り上げたらしい。
アパートへ帰って、みんなくたくたで寝た。
ゆうやたちは海行ったからねー。
ゆうやの日記(ポルトガル語練習用)
Diário do Espiga
9時半頃起きて朝飯。
最近は朝飯をまた皆で食べるようになっている。
さやかさんが作ってくれていた。
昼にトモさんと海に行った。
日焼けとかフレスコボールとかした。
トモさんは元テニス部員らしい。
オレも幽霊部員だったけど。
波にのって泳ぐと楽しい。結構進む。
こないだ結構でかい波に呑まれて地面に膝を強打したけど。。
2時半頃アカデミーアに行き、昼飯を食う。
今日は最初カランゲージョにいったんだけどランチが終わってて(初!)
近くの鉄板焼きの店で食べた。いまだに店の名前がわからん。
ランチは一人4.5、スーコはナシ。
でも悪くなかった。
メルカジーニョでいろいろ食材を買って戻る。
今夜はアカデミーアで飯をうちらが作ってみんなで食おうという話になり、
追加の食材を買う。
練習はオンサとシャレウとかネゴが来た。
ケーダを含む練習。
夜飯はオムレツを作った。
オムレツね、むずかしんですよ。結構。
アニーが非常にご機嫌でトニーとの昔話とかをしてくれた。
エレナが生まれた時に200kgだかの魚を釣ったとか。
200って事はなかったかしらね、100くらいだったかしら。
でもどんなだよ!と思った。
あとネゴは練習1時間半掛けて来るらしい。
・ ・・ってアニー彼の家はアエロポルトの近くって言ってたな・・。
それでも30分くらいで着くんじゃないのか??
アニーも同類かー!
Eu leventei-me as 9 e meia.
Nos tomamos cafe da manha juntos.
A tarde, eu fui a praia com Tomo.
Fiz bronzei-me, nadei, e jogei Fresco bol.
As 2 e meia, nos fomos na academia.
E almocamos no restaurante de "TEPPAN-YAKI"
(Ainda nao sei esse nome)
Sempre nos almocamos no "Caranguejo de Ondina",
Mas hoje ja terminou o almoco.
Depois disso nos compramos acomida.
Quando disso Sayaka falou quenos fazemos o jantar e comemos
Com Tony e Any.
Todo nos concodamos.
Depois de treinamento, cozinhamos "OMULETSU".
Eu escrevi nomes deles por essas comida.
Muito divertido.
Tambem a historia deles.
ゆうやへの応援メールはこちらまでyuyadecapoeira@yahoo.co.jp